早稲田中世の会

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2022年度春の例会(早稲田中世の会 最終例会)のお知らせ

早稲田中世の会 例会のご案内


拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます
さて 先にご案内いたしましたとおり 早稲田中世の会最終例会を下記の日程で開催いたします
よろしくご参会いただければ幸いです

                                  敬具
                 記


日時 :3月18日(土)13:00~17:00(予定)。
研究発表・講演の後に総会を開催いたします。
場所(対面):早稲田大学戸山キャンパス36号館5階582教室。
オンライン : Zoom で参加希望の方は、下記 URL よりお申し込みください。

オンライン参加登録フォームよりご登録いただいた方には、3月13日と前日にURL をご登録のメールアドレスにお送りいたします。


発表題目および要旨


平家物語』における「乳母子」の物語――「木曾最期」の分析を中心に――
           早稲田大学大学院文学研究科修士課程一年  小中杜萌氏


 一般的に「乳母子」は貴人から見た「自分を養育した乳母の実子」と理解される。養君である主君と「乳母子」は主従関係でありながら、幼い頃から同じ環境で養育される点で肉親に近い関係でもある。肉親的な愛情と主従関係の愛情という異なる二つの「愛」を持ち得る「乳母子」は注目すべき存在である。
 「乳母子」は現代の多くの辞書で立項されており、主君に対する「忠実」さや「密接」な関係に言及するものもある。しかし、近世以前の古辞書にはほとんど見られない。その一方で『平家物語』では複数の諸本に例を確認できる。
 本発表は『平家物語』の調査した諸本に共通する唯一の例である木曾義仲と今井四郎兼平の物語について、その特異性を論じるものである。「乳母子」という存在を起点に、義仲と兼平の最期を語る「木曾最期」の表現構造を分析することで、『平家物語』の新たな読みを提示することを目指す。物語を構成する言葉として「一所」と「契り」に注目して分析すると、『平家物語』の他の主君と「乳母子」の物語にはない特徴が明らかとなる。
 現在の「木曾最期」の解釈は、物語から主従の「愛」や義仲の最期の「人間らしい」姿を読み取るのが主流である。しかし、慶安三年(一六五〇)刊の『平家物語評判秘伝抄』は義仲を愚将であると批判する。このような大きな読みの違いはなぜ生じるのか、その要因を「乳母子」・「一所」・「契り」の解釈に焦点を当てて考察する。

 


京極派と一遍時宗教団とに共有された心性――折口信夫の浄土思想を手がかりに
                       詩人・文芸評論家  林 浩平氏


 京極派の叙景歌は、夕陽や夕景を詠んだものが中核を占めるが、それらは西方浄土への転生を祈念する歌ではないか。まずはこの問題意識から出発したい。玉葉集・風雅集の釈教部巻頭歌には、観無量寿経の「三心具足」を否定する、一遍に繋がる浄土宗西山派の教義に関わる作などが置かれ、浄土教的要素がきわめて色濃いパートだ。さらに京極為兼は一遍を継いだ他阿と交流があり、他阿の歌集写本には為兼による作歌指導の痕跡が残るうえに、他阿に念仏往生について教えを乞うている。また玉葉集・風雅集の撰集資料となる夫木抄の撰者の勝間田長清は他阿の弟子であり、熱心な念仏者だった。それに加えて、『一遍聖絵』の文章を書いた聖戒、絵を描いた円伊はともに一首づつを玉葉集に入集している京極派歌人である。そもそも為兼は、配流先の佐渡からの無事帰還を阿弥陀仏に祈って、「あみたふつ」「なむあみた」を詠みこんだ木綿襷(ゆふだすき)十八首を詠んだのだ。『野守鏡』という、京極派と一遍及び念仏宗の両者を激しく非難する歌学書の存在もあるわけだから、京極派と一遍時宗教団との間の浄土教信仰を絆にした結びつきが逆に証明されるのではないか。
 京極派和歌を高く評価したのは折口信夫である。折口は小説『死者の書』とその解説とされる論稿『山越しの阿弥陀像の画因』を書いたが、安藤礼二も指摘するように両書の主題となるのは浄土教でいう日想観、西に沈む太陽を凝視して浄土への往生を志向する思想だと言える。こうした折口の浄土思想も手がかりに、京極派和歌が孕む浄土教信仰の問題を考察したい。

 


『世子六十以後申楽談儀』難語小考
                      早稲田大学名誉教授  竹本幹夫氏


 世阿弥芸談『世子六十以後申楽談儀』(略称『申楽談儀』『談儀』とも)には、原態推定の困難な本文が多数存在する。その理由は、最善本が関東大震災で焼失し、残された転写本が略本系の末流の本文ばかりで、完璧な本文復元が不可能な点にある。当然のことながら同書本文には意味不明の語句が多出し、しかも芸談の聞書という性格上、当時の俗語もそこに交じるために、解釈は難解を極める。本発表ではこれまでの研究史の中で解決されてこなかった、もしくは通説に問題があると思われるいくつかの語句を取り上げ、私解を示しつつ、世阿弥晩年期の猿楽について論じる。主に左の諸点を取り上げる予定である。
第 三条「よろづの物まねは心ね」
第 八条〈重衡〉の作者
第十二条「かやう」という音転位
第十五条「ことばのにほひを知べし」
第十六条「音曲コシチハム(こし地はむ)」
同 条「しやうのこゑ・かくのこゑ」
第十七条「大ぜいの座」
同 条「おきなの礼」
第十八条「あまりにはじめはいろなきのふ」「おりくゝめとしてきる」
第二十一条「カツテミヤウタイコニテ」
結崎座規「ワカミヤノ御マツリ、タキヾノクジヨウトウノ事」

 

                                  以上