早稲田中世の会

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2018年度春の例会のお知らせ

本年度例会の案内が大幅に遅れてしまい、大変申し訳ございません。

2017年度春の例会のお知らせをいたします。ご多忙中とは存じますが、ぜひともご参会頂きたくお願い申し上げます。

 

 

一、  日時 二〇一九年三月二十二日(金)             

十四時から

 

一、  会場 早稲田大学戸山キャンパス

三三号館三三三教室

 

一、  研究発表

 

(一)空海の法力争い譚における敵役の造型

―修円から守敏へ―

文学研究科 修士一年 古谷尚洋氏

 

 数ある弘法大師伝説話の中でも著名なものに、空海と敵役の僧との法力争い説話がある。僧が生栗を法力で煮るのを空海が妨害する話や、両者が憎み合って呪詛合戦を繰り広げる話、僧が起こした日照りを空海が請雨経法で解決する話など、その内容は多彩だが、いずれにも共通して見られるのは、確かな法力を備えて空海と渡り合う、好敵手としての僧の存在感である。僧の名は定まっておらず、「修円」「守敏」の二種を中心に早い段階から揺れが見られるが、中世後期頃になるとその名は「守敏」にほぼ固定され、東寺の空海と並び立つ西寺の長者として、近世にかけて諸書で大いに喧伝されてゆく。ところが、実在人物として史実に徴証し得るのはむしろ「修円」の方である点は、先行研究においても指摘されている。本発表では、一連の説話の形成史を整理しつつ、実在の興福寺僧「修円」が、空海の好敵手たるに相応しい説話的言説を付与され、半ば架空の悪僧「守敏」として造型されてゆく過程を考えたい。

 

 

(二)鴨長明の鎌倉下向についての一考察

    ―和歌を柱に書き記すという事―

文学研究科 修士三年 山本明彦氏

 

吾妻鏡』建暦元年十月十三日条は、古来多くの文学者や歴史研究家の目にとまったが、正面から取り上げて議論した例というのはほとんど見当たらない。考えられる理由としては、当該記事が、左記のように句読点や闕字を含めてもたった八十九文字+和歌という短い文章であり、本件に関する史料が他に見当たらないということであろう。記事の表立った主人公二人が長明と源実朝であるので、これは実に残念なことである。

  辛卯。鴨社氏人菊大夫長明入道、法名蓮胤、依雅経朝臣之挙、此間下向。奉謁 将軍家、及度々云々。而今日当于幕下将軍御忌日、参彼法花堂。念誦読経之間、懐旧之涙頻相催、註一首和歌於堂柱。

草モ木モ靡シ秋ノ霜消テ空キ苔ヲ払ウ山風

今回の考察では、和歌自体や実朝と長明の関係にはふれないで、論点を「和歌を柱に書き記すという事」に絞り込み、そこから自ずと見えて来たものをまとめてみた。

 

(三)能の作者

文学学術院 教授 竹本幹夫氏

 

 一九〇九(明治四二)年に吉田東伍により世阿弥能楽論が紹介されたとき、世阿弥の実在の証明と共に、その能作の実績が確認されたことによって、能の文学的評価は一気に高まった(横山太郎「『十六部集』刊行後の世阿弥受容」、佐藤和道編『世阿弥発見百年』演劇博物館 二〇〇九年)。作者の存在が作品の正統性を担保するという近代思想がその背景にはある由であるが、これに対して世阿弥はいかなる理由から、作品に作者を明記したのであろうか。『三道』所掲の人気曲二九曲に作者を注記した『申楽談儀』十六条の記事を初めとして、『三道』『申楽談儀』に見える改作例の意義、『五音』における作曲者注記の意味について考え、それらが漢文作品や和歌に作者名が付せられることとは理由を異にするものであったことを論じる。あわせて室町後期の作者別謡名寄である作者付の意味についても言及したい。これらの事例から、「作者」とは何かについて、考察を深めることが出来ればと思う。

 

 また、研究発表会の後、懇親会を予定しております。是非ふるってご参加下さいますよう、お願い申し上げます。

 

 会場 かわうち(新宿区西早稲田二の三の二二)(予定)

 時間 十七時三〇分から

 会費 三〇〇〇円